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秋田地方裁判所 昭和41年(わ)26号 判決 1967年8月29日

被告人 斎藤弥一郎

主文

被告人を死刑に処する。

押収してある現金合計四五、四六二円(昭和四一年押第二一号の四、五、二四、二五、二七ないし二九)は株式会社菅与組に還付する。

理由

(被告人の経歴及び本件犯行に至るまでの経緯)

被告人は肩書本籍地において父弥佐治・母ハルの長男として生れ、昭和一六年三月秋田県南秋田郡下井河村立下井河尋常高等小学校高等科二年を卒業後父に伴われて樺太に渡り同地で弾薬などの荷役作業に従事したのをはじめ、同二〇年七月には函館の日魯漁業株式会社に徴用されてカムチヤツカ半島に渡り、同年八月八日同地においてソ連軍の捕虜となつて約二年三ケ月間の抑留生活を送り同二年一一月帰郷した。その後、八郎潟で漁師をしていたが同二三年三月一七日秋田地方裁判所で強盗未遂罪により懲役二年に処せられ、服役後は北海道方面へ出稼ぎに行き同二九年二月妻テツヱと婚姻、その後秋田県南秋田郡一日市所在土建業八重樫建設に就職し資材の運搬や堤防工事などに従事していたが、その間同三〇年に詐欺罪で同三一年に横領罪で起訴猶予処分に付され翌三二年七月二六日秋田簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年六月(三年間執行猶予)に処せられた。その後岳父佐藤豊蔵の口添えで同郡昭和町大久保字町後五三番地所在土建業株式会社菅与組(代表取締役菅原与一郎、以下菅与組と略称する)に就職、常用人夫として飯田川町・八郎潟町・秋田市などの道路舗装工事に従事し、同四〇年一二月ころからは同組渡辺班(責任者渡辺金吉)に属し同郡井川村浜井川東部第四工区において妻ともども道路工事に従事することとなつた。被告人は同四一年二月五日ころから頭痛のため右菅与組を無断欠勤していたがこのことについて同僚が「どこかによい仕事があつて行つたんだろう」などと陰口を言つている旨妻から聞くに及び、同組での勤務に不満を感じこの際同組を辞めて北海道で働こうと考え、同月一〇日、実弟斎藤弥四雄に無断で同人名義の定期預金証書一通(額面金二〇〇、〇〇〇円)を持ち出し、同証書を担保にして株式会社秋田銀行大久保支店から現金約一九六、〇〇〇円を借り受け、八郎潟町の衣料店から黒皮ジヤンバー一着(昭和四一年押第二一号の八)・黒皮手袋一双(同号の一四)他数点を買い求めたのをはじめ、翌一一日秋田市で洗面道具一式・黒皮半長靴一足(同号の一三)・黒色ボストンバツク一個(同号の二二)などを、続いて同月一二日、一日市で赤色無地タオル一本(同号の七)他一点を購入して身仕度を整え、国鉄八郎潟駅から急行「第二津軽」に乗車し、就職先を求めて函館へ赴き、同日夕刻函館に着いた。被告人は、同月一四日、函館市松風町一九番一二号所在銀座食堂で飲酒中、同所同番所在バー「小夏」の経営者谷美代が右銀座食堂経営者豊川某と右バーの店舗売却処分について話し合つているのを耳にし、更に、同月一六日前記食堂で右豊川からその売値を聞いたりしているうちに、右「小夏」を買い取つて経営してみようとの気持を押えきれなくなり、同日、同市若松町二一番三号所在江差屋旅館において資金の調達方法をあれこれ考えた末、前記菅与組会計係鈴木貞四郎(当時六五年)が同月二一日前記秋田銀行大久保支店から同組従業員に給料として支払う現金の払戻しを受け同組へ帰る途中の機会を狙つて同人から右現金を奪い取り、それを以て前記「小夏」の店舗購入資金に充てるより他に大金を手に入れる方法はないものと判断し、所持金も残り少なくなつた翌一七日函館市を出発して同日夜遅く帰秋した。しかし、被告人は、前記弥四雄に無断で同人の定期預金証書を持ち出したこともあつて帰宅することをはばかり、南秋田郡八郎潟町田中所在国鉄東能代保線区飯塚線路班休憩所でその夜を過した。翌一八日夜、被告人は、同村新屋敷地内東岸土地改良区菅与組工事現場菅原班事務所(責任者菅原士朗)へ赴き、同事務所内から菅原士朗所有にかかる黒皮ケース入りトランジスターラジオ一台(同号の一八及び一九)・茶色手提鞄一個(同号の二三)を窃取したのをはじめ、同村浜井川東部第四工区同組鈴木班人夫休憩所(責任者鈴木広司)から四十物源三郎所有にかかる男物紺色ジヤンバー一枚(同号の九)を窃取し、続いて、右同所同組渡辺班人夫休憩所(責任者渡辺金吉)から青木金一郎所有にかかる黒色ゴムバンド一本(同号の一二)を窃取したほか自分のバンド付雨合羽ズボン(同号の一〇、一一)を持ち出し、更に、同所農業横断暗渠新設第四号工事現場にあつた工事用ヒユーム管内から藤原周一郎所有の「のみ」二丁(同号の二〇)等を窃取して前記保線区休憩所に戻り次の一九日も同所において時を過した。被告人は翌二〇日午後五時ごろ人夫が帰宅した前記菅原班事務所へ行つて飲食した後、前記鈴木から現金を奪う具体的段取を思いめぐらし、同人が午前九時ころから九時三〇分の間に前記秋田銀行大久保支店から現金の払戻しを受け、同郡昭和町大久保字堤の上九一番地所在同組合倉庫前を通るからそのころ作業中を装うため作業衣をつけ、同倉庫前路上で同人を呼び止め、同人に税金の督促に関する話を持ちかけて倉庫内に誘い込んだうえ同人に暴行を加え、場合によつては同人を殺害してでも同人の所持している現金を奪い取ろうと決意した。翌二一日、被告人は右菅原班事務所から菅原士朗所有にかかる青色ビニール製合羽上着一枚(同号の一七)及び右鈴木の頸を締める際に使用するため右菅原土朗管理にかかる白色ビニール製間繩(同号の六)を約一三メートルの長さに切り取つて窃取し、これらと前日迄の賍品及び被告人の身の廻り品を所携の赤茶色風呂敷(同号の一六)及び同事務所にあつた遠藤幸子所有にかかる緑色竹模様入り風呂敷(同号の一五)の二つに包んで同事務所を出、一旦前記保線区休憩所に立寄つて合羽ズボンを脱ぎ、午前七時三〇分ころ中央交通小今戸バス停留所に到着したが、車内で知人と会うことを懸念して一台見送り午前八時一〇分ころ同停留所発秋田駅行きバスに乗つて国鉄大久保駅前停留所で下車し約一五分間同停留所待合室で時間を費した後、午前九時ころ前記菅与組倉庫へ到着した。被告人は資材置場東側の車庫代りに使用されている倉庫(面積約八四・六平方メートル)の南側トタン張り板戸を約一メートル押し開いて同倉庫内に入り、同倉庫西南隅にあるウインチ付近で所携の前記合羽ズボンを穿き、前記間繩(同号の六)をゴムバンドの上から四重にして腰に巻いたうえ、着用していた背広上着及び黒皮ジヤンバー(同号の八)を脱いで前記紺色ジヤンバー(同号の九)に着替え、更に、前記赤色タオル一本(同号の七)を四つ折りにして頭に巻き黒皮手袋(同号の一四)をはめ、足は黒皮半長靴(同号の一三)という姿で倉庫で働いているかの如く装い同倉庫開戸門柱付近に立つて前記秋田銀行大久保支店から菅与組事務所へ帰る途中の前記鈴木を待伏せた。

(罪となるべき事実)

被告人は昭和四一年二月二一日午前九時三〇分ころ前記菅与組倉庫付近路上において、前記秋田銀行大久保支店から現金の払戻しを受け中古ミヤタギヤエム号自転車に乗つて同組事務所へ帰る途中の同組会計係鈴木貞四郎の姿を認めるや、かねての計画どおり同人を殺害してでも同人の所持する現金を奪い取ろうと企て、同人に対し「鈴木さん、ちよつと」と声をかけて呼びとめたところ、同人が自転車を降り被告人に対し何ら警戒心を抱くことなく素直に被告人の後から同倉庫内に入つて来た。被告人は同倉庫内にあつたロード・ローラーの運転台を背にして右鈴木と対峙するやいきなり同人の前額部を右手拳で一回強打したところ、同人に両手で胸元を掴まえられたため同人の胸座を掴んで引張り同人を右ロード・ローラーの左後車輪に押しつけながら前記黒皮半長靴(同号の一三)を履いた右足で同人の陰部を力まかせに蹴り上げ、呻声をあげて仰向けに倒れた同人の胸元右側に立ち同人が死亡してもやむをえないとの考えのもとに右靴履きのまま右足で同人の頸部・胸部などを二・三回力強く踏みつけた。被告人は右暴行により鈴木の口から血が流れ出るのを認めたが、ことここに至つては同人が蘇生し自己の犯行を暴露することを防ぐために止めをさすより方法がないと考え、仰向けになつて倒れている同人の上体を跨いで立ち前記間繩を腰から解き前傾姿勢になつてこれを同人の頸部に二回巻きつけたうえ、一端を同人の頭部付近にあった自吸式ポンプのパイプに巻いてその端を手前に引張つて同人の頸部を締めつけ、なおも右靴履きのまま同人の頸部・胸部・下腹部を力まかせに踏みつけるなどの暴行を加え、よつて同人をして同日午前九時四〇分ころ右倉庫内において頸部に対する衝突・圧迫的作用による窒息死に至らしめたうえ、前記自転車後部荷台から薄ねずみ色風呂敷(同号の二)に包まれていたビニール製手提鞄(同号の一)を取り出し同鞄から同人の所持していた現金一、〇四五、〇二二円を強取したものである。

(証拠の標目)<省略>

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人は本件犯行当時刑法上いわゆる心神喪失或は少なくとも心神耗弱の状態にあつた旨主張する。よつて、按ずるに、鑑定人佐藤時治郎の鑑定によると、被告人は「知能的には正常の下位ないし軽愚というべき知能低格者であり、性格的には自己顕示性・情性稀薄・爆発性の傾向を主徴とする精神病質者で短絡反応や心因反応を起し易い傾向がある。しかし、狭義の精神病は認められない。犯行時も軽度の知能障害、著明な性格偏倚は存在したが、それ以外に、著しい心因反応状態にあつたとは考えにくい」との結論が下されているところ、右結論は、同鑑定人作成の鑑定書、同人に対する尋問調書並びに前掲各証拠によつて認められる被告人の生活歴、性格、環境、犯行時及び犯行前後の言動等に照らし十分首肯することができる。尤も、第二回公判調書中証人斎藤テツヱの供述記載、第三回公判調書中被告人の供述記載、第四回公判調書中証人桑名忠夫の供述記載並びに右鑑定書によると、昭和三〇年八月ごろ、本件で勾留中の昭和四一年四月下旬以降少くとも八月上旬迄及び本件で鑑定留置中の昭和四一年一一月九日一〇日の両日、頭痛を主訴とする心因性の精神障害を来たした事実及び昭和四一年一月中旬頃から二月上旬にかけて頭痛に見舞われた事実があるが、右鑑定書によると前三者はいずれも器質的疾患や症状性精神病に基因する症状ではないことが認められるばかりでなく、右桑名証言によると、被告人が昭和四一年一月一八日と同年二月七日に訴えた頭痛はいずれも感冒に基因するものであつたと認めることができる。以上の事実と、被告人の検察官に対する昭和四一年三月一五日付供述調書中、風邪がなおつた二月一〇日自宅から飛び出しそれ以後体具合の悪かつたことはない旨の記載を併せ考えると、佐藤鑑定人が尋問調書の中で述べているとおり、被告人には本件犯行当時心因反応に基づく精神障害はなかつたものと解するのが相当である。更に、被告人の検察官に対する各供述調書の記載及び公判段階における供述と前掲証拠の標目欄に掲げた証拠によつて認められる客観的に動かし難い諸事実とを対比すると、被告人の意識と言動との間に断絶はなく且つそれらの記憶は詳細正確でそこに断絶が認められない。このことと、前記鑑定書及び尋問調書とを綜合すると、犯行当時被告人には意識障害も短絡反応もなかったと認めるのが相当である。以上で説示した事柄に、被告人の公判における供述から窺われるところの被告人の自己の行動を正当化するため巧妙な弁明能力を有すること、本件犯行にみられる計画性、合理性、臨機応変性、就中、同年二月一四日前記バー「小夏」の店舗の下検分に赴いていること、函館市若松町所在カフエー「夕月」こと杉本克二方において女給に対し、「秋田へ行つて二一日ころ又来る」と言つていること、犯行直前前記菅与組倉庫前で顔見知りの同組社員遠藤幸子の姿を認めるや本件犯行計画を感知されないために故意に同倉庫前を通り過ぎる行動をとつていること、犯行直後自転車を隠し倉庫の戸を閉めて立ち去つていること、人目を避けるために国鉄大久保駅から僅か一八一メートル離れた昭和タクシーに電話で配車依頼をしていること、青函連絡船乗船名簿用紙に「北海道函館市若松町伊藤一郎三二才」と虚偽の記載をしていることなどの事実を併せ考えれば、被告人は本件犯行当時も前認定のとおりの精神病質者で短絡反応や心因反応を起し易い傾向にあつたと考えられるが、本件犯行時には、これらの反応を起しておらず、その他事物の是非善悪を弁識する能力及びこれに従つて行動する能力に著しい障害はなかつたものと認めることができる。よつて、弁護人の前記主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第二四〇条後段に該当するところ、ここで被告人に科すべき刑の選択について検討するに、本件は判示認定の動機のもとに計画され敢行された犯罪であってその動機において何一つとして同情すべきものがないばかりでなく自己の金銭的欲望充足のために手段を選ばなかつた最も悪質な犯行である。又、その態様についてみても何の落度もない年老いた被害者の陰部を靴履きのまま強烈に蹴り上げ、更に、頸部・胸部を力強く踏みつけたうえ間繩で頸部を締めて吊りあげ、最後には止めを刺すべく再度頸部等を力強く踏みつけるなどその行為の執拗なることは言うに及ばず人道を無視した惨虐極りないものであつた。被害者は長年奉職した国鉄を退職後、前記菅与組に就職してまじめに勤務し、被告人に対して何らの悪感情をもつこともなく、又、近く同組を退職して妻ともども平和な老後の生活を夢見ていたことに思いを致せば、本件が単に善良な一市民の生命を奪つたことに止どまらずその遺族に対し終生拭い去ることのできない深い悲しみを与え、更には付近住民を恐怖に陥し入れたのである。なるほど、被告人は精神医学上悪質な遺伝負因の存する家系に生れ父の不在勝ちな貧困な家庭において成長し、性格形成につき最も重要な時期に約二年三ケ月間にわたつて抑留という特殊な生活環境のもとにおかれていたというその特異な生活史は悪質な遺伝素質と共に被告人をして性格異常者たらしめた一要素というべく、これらの点については被告人に対し同情すべきである。しかし被告人はこれまで判示認定前科前歴が示すとおり多数回にわたつて異常性格についての警鐘と矯正の機会を与えられながらもこれを受け入れることなく反社会的行為を積み重ね、遂に現在の如き顕著な性格の偏りをもたらしたのであつて、被告人自身その性格形成について責任の大半を負わなければならない。そこで、被告人の家系・経歴・環境・教育程度・犯行の動機・計画性・被害者との関係・犯行の態様・犯行後の行動・賍品の処分状況及び本件に対する改悛の程度などを仔細に検討し、被告人に有利な事情を全て斟酌しても本件犯行に対する被告人の刑事責任はまさに極刑に値いするものと断ぜざるをえない。よつて、所定刑中死刑を選択し被告人を死刑に処することとする。押収してある主文掲記の現金合計四五、四六二円は判示犯罪の賍物で被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法第三四七条第一項によりこれを株式会社菅与組に還付する。尚、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により被告人に負担させない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 新田圭一 佐藤文哉 西川道夫)

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